アウディジャパンが社の表参道(渋谷)のブランドショールーム、Audi Forum Tokyo で歴史的なNSU TTS Gruppe 2の報道を新聞で知りました。中々時間がとれず、遂に意を決して伺ってみました。
日野コンテッサの親類のように親しみを感じるNSU Prinzは実車を見る機会が中々ありません。今回のような純粋な現役競技車両ともなるとなおさらです。当時のカーグラのレポート程度の記憶となります。さて会場に入り、しばし釘付けになり、見入っておりました。あまりみも詳細に見入っていたせいでしょうか、一人の男性が声をかけてきました。その方は広報のマネージャさんでした。こちらの興味を伝えたり、日野の話をしますと、俄然話が弾みました。そしてNSU TTSの周辺の安全用のロープを外し、写真も撮り易いよう、粋なお取り計らいまでいただき、存分写真を撮って下さいとまでのお言葉でした。
色々、お話をお聞きし、すごいと思ったことは、Audi社はこのような歴史的な旧車に対して、個人所有(この展示車も同様)であれ、手厚い保護・支援をしているようです。クルマをちゃんとした文化そして芸術として捉え、育んでおられるとのことです。その為の予算も確保されるとのことです。おそらくAudi車の売上と販売台数などを見れば、日本のメーカーに比べれば小さいものと推測します。しかし、自分たちが世に出したクルマは歴史としてちゃんと足跡を見えるようにしている訳です。おそらく欧州車のメーカーは他社も同様と感じております。羨ましい限りです。
ぜひ、日本のメーカーも世界に怒濤のごとく販売したという足跡は残しているですが、クルマ自体の文化そして歴史ということについては全くもって寂しい限りです。一日でも早く、文化に自らの資金で金を掛けるようになって欲しいと願うものです。
以下は、文化として扱われている幸せなクルマです:
以下は広報のマネージャさんに敬意を評して、現場にあったデータを基に参考までに整理して車両データを記します:
Audi Forum Tokyo - 特別展示車両:NSU TTS Gruppe 2
NSU車は1873年Christian Schmidt & Heinrich Stollによって編機のメーカーとして設立された。1880年現在のAudi Neckersulm工場の場所にNeckersulmer Stickmachinefarik(NSU)としてその工場を構えた。
1901年始めてのオートバイを生産開始、1905年4輪車の製造を開始し、1932年第一次世界大戦後はオートバイの専業メーカーとなった。
1946年戦後の復興によりオートバイの製造を再開し、レースにて数多くの勝利を勝ち取った。1956年再び自動車の製造を開始し、数多くのモデルを生み出した。その中ではロータリーエンジンを搭載したヴァンケルスパイダー、Ro80等があげられる。NSUhしゃは969年Auto Unionと合併しAudi NSU Union AGとして再出発を果たした。
展示車のNSU TTS Grouppe2は1961年にデビューしNSU Prinz4(600cc)を基にし、1964年NSU Prinz1000に発展、1967-71年スポーツモデルとしてNSU TTSが開発され、数多くのルーリングカーレース、ジムカーナ、ヒルクライムに活躍した。
(会場にあったパネル、フラッシュのハレーションはご容赦を)
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